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BLACK [ヒンディ映画]

監督  :サンジャイ・リーラー・バンサーリ
キャスト:アミターブ・バッチャン、ラニ・ムカルジー、シェールナーズ・パテール、ドリィマーン・チャッタルジー、アーイシャ・カプール(子役、新人)

ストーリー
Michelle(ラニ・ムカルジー)が幼い頃を過ごした家に戻ってくると、一人の男が噴水のそばに座っていた。なんと彼は、音信不通になっていた最愛の先生、Debraj(アミターブ・バッチャン)だった。そして年老いた彼は、Michelleのことが全くわからなくなっていた。アルツハイマー痴呆症である。

Michelleは必死で、自分とDebrajの過去をDebrajに語り始める。

Michelleの耳と目が機能していないという事実が発覚したのは、彼女が2歳の時だった。
両親はそんなMichelleを不憫に思いながらも、どのように接してよいかわからなかった。
手づかみで食べ物を食べ、それとは知らずにろうそくを倒してぼやをおこし、妹さえも放り投げる。Michelleは目と耳が不自由なことで、獣のような少女に育ってしまった。

Michelleの両親は、とうとうMichelleをもて余し、施設に入れようとも考えるが、最後望みの綱としてDebrajを家庭教師として雇う。Debrajは、彼女に闇の中の光をつかませよう、人間としての生きている喜びを教えようと、意欲を燃やして彼女を教育する。

最初は、Michelleその見知らぬ男に恐怖を覚え、Michelleの両親もまた、のことを心配するあまり、その性急で強引な教育方針に反発を覚え、Debajを解雇しようと考える。
しかし、Debrajが献身的で粘り強い信念で教育したことによって、Michelleは言葉を理解できるようになる。Michelleの両親も、Debrajに絶対的な信頼を寄せ、彼の教えを受け入れるようになる。

Michelleは成長し、大学に通うまでになる。Debrajは献身的にMichelleの勉学を助け、Michelleもまたそれに答えようとするが、何度も何度も落第してしまう。Michelle何度もくじけそうになるが、「闇に戻るのか?この世に不可能なことは何一つないんだ。」というDebraj言葉を胸に必死で勉学に取り組む。

しかし、Debrajに少しずつアルツハイマー痴呆症の症状があらわれはじめるようになる。

Micelleは妹の結婚式で、初めて異性を愛するということ、キスするということの意味を知り、愕然とする。MichelleにとってDebrajは、かけがえのない存在となっていた。Michelleはその想いをぶつけ、Debrajキスをせまる。Debrajは最初は拒むが、彼女に優しくキスし、静かにその場を立ち去る。Debrajはそのまま行方をくらましてしまう。

月日は流れ、MichelleはDebrajとの再会を果たしたものの、痴呆症の症状のため、過去を忘れ、言葉も忘れ、そこら中を徘徊し、鎖でつながれ、人間としての扱いをされないDebrajを目の当たりにる。そこにはかつて闇の中にいた自分の姿があった。

Michelleは40歳になっていた。大学を卒業する日がやってきた。
大学の卒業、それはかつてのDebrajとMichelleが共有した夢であり、光であった。
Debrajはその教え子の、卒業した者のみが許される黒いローブと四角い帽子に触れ、かつてのように喜びに小躍りしてみせる。

外は降りしきる雨。
二人は窓からそっと手を差し伸べ雨水に触れる。その時、Debrajが忘れ去っていた言葉を思い出す。
「woah」=water
それはかつて、Michelleが生まれて初めて理解し、覚えた最初の言葉だった。

再び2人の奇跡は始まった。



なんという衝撃!!なんという美しさ!!
BLACK』とはただの闇という意味ではなかったのだ!
この映画を観終わった時、自分はいままでなにやってたんだろうって。

自分が作っている人形はここまで到達できるのだろうか。
恥ずかしくて、今作っているものを捨て去ってしまいたくなった。

ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の作品に『霧の中の風景』というのがあるのだが、この映画を観て以来の衝撃だった。
バンサーリ監督の『Khamoshi〜沈黙のミュージカル〜』を観たときもすばらしいと思ったが、今回はそれ以上ではないだろうか。
ミュージカルはなくても、役者の演技、ストーリーそのものに音楽を感じる映像が、かつて存在しただろうか。

特にMichelleが初めて言葉を理解するシーン、又、大学の卒業式で卒業生を前に演説するシーンが圧巻だった。特に子役のアーイシャ・カプールは、とても演技とは思えなかった。
又、痴呆になったDebrajの姿と自分の母の姿が重なって、涙が止まらなかった。
だからよけいに、この映画の奇跡を信じたいと思う。

インドでは今年の2月に公開されてからロングランでヒットを飛ばしている。
この映画が日本で公開されるようなことになったら、どうなってしまうのだろう。
インド映画史上に名を残す名作、いや映画史上に名を残す名作になるに違いない。

BLACKのオフィシャルサイト↓
http://www.black-thefilm.com/main.htm

ビデオクリップ↓
http://www.applauseent.tv/black_promo.html
http://www.bollyvista.com/movieclips/vo/1349
http://www.bollyvista.com/movieclips/vo/1362

日本語字幕付きDVD情報(但しWindowsのみ対応)↓
http://www.tirakita.com/Movie_VCD_DVD2/DVD/dvd_308.shtml

監督のインタビュー映像。↓
http://nowrunning.com/broadband/player.asp?o=v&movieNo=1854&it=164

ネット上で映画鑑賞
http://www.youtube.com/watch?v=XNz_9N-bTGg

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Kuch Kuch Hota Hai(クチュクチチュホタヘ 何かが起きている) [ヒンディ映画]


制作(ヤーシュ・ジョハールプロデュース)
監督:カラン・ジョハール
出演:シャー・ルク・カーン、カージョル、ラニ・ムケルジー

ストーリー
ラフール(シャー・ルク・カーン)と男勝りのアンジェリ(カージョル)は、学校でもベストフレンドとして知られていた。

ある時ロンドンから校長の娘ティナ(ラニ・ムケルジー)がやってくる。ラフールは、美しく知的なティナに一目惚れしてしまう。
「僕のタイプじゃないよ。だいたいロンドン野郎で、インドの娘じゃない。」な〜んていいながら、好きな女の子にはついつい意地悪してしまうガキ大将よろしく、ティナになにかとちょっかいを出すラフール。

英語の授業で、「愛とは友情。」というラフールの言葉を耳にして、なんとなくラフールのことを気にし始めるアンジェリ。
ラフールがティナにちょっかいを出す姿を見ては、心穏やかではない。

アンジェリがラフールへの愛に気づいた時、時既に遅く、ラフールとティナは、お互いの愛を確認し、結婚してしまう。
アンジェリは傷心のまま、田舎へ帰ってしまう。

ティナは、ラフールと結婚した後、娘を一人産むが、産後のひだちが悪く、「娘の名前をアンジェリにして欲しい。」と言い残し、
娘に8通の手紙を残してこの世を去る。

誕生日のたびに、ティナの手紙を楽しみにして生きているアンジェリ。8通目の母の手紙を手にしたとき、アンジェリは、自分の母と、父と、そして父の親友のアンジェリのことを知る。
ティナは知っていたのだ。ラフールの本物の愛は、親友であったアンジェリの元にあったと。でも、自分は2人の間にわって入ってしまった。だから、ラフールにアンジェリの愛を取り戻して欲しい。それが私の望みだと。
手紙を通して、そのことを娘に伝えたかったのだ。

母の望みをかなえるべく、娘は、アンジェリのいるサマーキャンプへと向かう。そこにラフールも合流して、ラフールとアンジェリは
昔の友情を取り戻し、ラフールはアンジェリに友情以上のものを感じ始める。アンジェリもまた、ラフールのことはずっと忘れられずにいた。しかし、すでにアンジェリは、別の男性と婚約していたのだ。

この映画は、私がヒンディ映画の深みにはまる、決定的な映画となった。どこにでもありそうな恋愛ものなのに、これほど純粋で、かわいらしい映画は他にないだろう。
「アメリ」もかわいかったけど、もっとストレートなかわいらしさ
を感じるのだ。そして、その後のダルマプロダクションもののK3Gやカルホナホの原点がここにある。

ミュージカルシーンのすばらしさはもちろん、ラフールとティナの元から去る時のアンジェリの表情、そして最後の言葉なき告白シーン。観ているものは、2人の恋の行方にはらはらドキドキしながら、最後にはやさしくハッピーな気持ちで一杯になる。
カルホナホとは違う意味の涙なんだけど、やはり止まらなくなる。
そして、3時間半という映画の長さを全く感じないのだ。

昨年、念願かなって日本で、大画面で観ることが出来た。
この映画がもっと早く、私がちょうどヒンディー映画にはまり始めた頃に、日本で公開さていたならば、きっと大ヒットしていたことだろう。今の韓流ブームもなかったかもしれない。

1998年作。本国インドではフィルムフェアアワード等の賞を総なめにした作品。東南アジアでは2000年に公開されるや大ヒットし、イギリス、アメリカでも多くの人々に賞賛された。

もちろんシャールクはこの作品でその名を不動のものにしたのである。


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Dil Se..(ディル・セ 心から) [ヒンディ映画]


制作:シェーカル・カプール
監督:マニ・ラトナム
出演:シャー・ルク・カーン、マニーシャ・コイララ、プリティー・ジンタ
音楽:A.R.ラフマーン

ストーリー
国営ラジオ局のデレクター、アマル(シャー・ルク・カーン)は、夜の嵐のホームで、黒いショールの美しい女性(マニーシャ・コイララ)と出逢い、一目で恋に落ちる。彼女の求めに応じ、熱いチャイを買って戻ってくると、彼女は逃げるように列車に乗り、去っていく。

アマンがいうところの、世界で一番短い恋の物語がここから始まる。

インド独立50周年について街頭インタビューをし、テロリストの拠点を取材する中、町で再び彼女と巡り会う。アマルは彼女につきまとい「愛しているだけだ、心から。」と告白するが、彼女からは「結婚しているの。」といわれ、彼女の仲間からボコボコにされてしまう。その後、彼女の元を訪れるが、彼女は仲間と共に姿を消してしまっていた。

アマルがラダックでチベット系住民の祭りを取材中、爆弾テロの犯人が兵士に射殺される。アマルはその野次馬の中に再び彼女をみつけ、彼女と同じバスに乗り込む。兵士の検問に、彼の連れだと答えながら、彼女はメグナと名乗っただけで、彼にはすげない態度をとり続ける。バスが立ち往生し、徒歩で移動する中、彼女は次第に打ち解けはじめるが、廃墟で野宿した翌朝、『砂に書いた名前のように、一陣の風に吹き消されるはかない命』と砂の上にメッセージを残し、彼女は再び姿を消してしまう。

アマルは、メグナとの結婚をあきらめ、別の女性プリティ(プリティ・ジンタ)との結婚を決めるが、プリティとの婚約式の日、アマルは突然のメグナの訪問を受け、戸惑う。聞けば、職を失い、身寄りがないという。仕方なくメグナとその連れの女性を自宅に住まわせ、ラジオ局の仕事まで世話をしてやる。プリティとの結婚の準備が進む中、アマンはラダックでの会話の録音をメグナに聞かせ、「一緒に逃げよう」と懇願するが、メグナは切なそうに涙を流すだけでなにも答えてくれない。

メグナの仲間の男を追いかけたことで、警察に目をつけられたことをきっかけに、アマルは、メグナ達の部屋で、あのテロリスト達を取材した時に目にした緑のはちまきと同じものを発見し、愕
然とする。メグナは共和国記念日の式典で、テロを決行しようとしていたのだ。

式典当日、アマルは、自分の強い愛だけが、メグナを止めることができると信じて、警察やテロリストと戦いながらメグナの元へと向かう。

映画のカタログを要約しただけなので、うまくストーリーが伝わるかどうか心配。最後はやはり悲劇なんだけど、究極の愛の物語。
インド本国では評判がいまいちだったようだが、日本ではコアなファンの多い1作である。

私はこの映画が日本で公開されたときミュージカルシーン「チャイヤ・チャイヤ」のすばらしさ、全体に流れる音楽の美しさ、カメラワーク、映像の美しさ、メグナに裏切られ、傷つきながらも、それでもメグナを愛し、家族も地位なにもかも捨てて、メグナのためにテロや権力に立ち向かって行く姿を熱演したシャー・ルク・カーンの男らしさ、又、アマンに密かに想いをよせながら、テロリストという自分の運命にあらがえず、アマンを拒み続けるマニーシャ・コイララのはかなげな美しさに感動し、3度も新宿の映画館に足を運んだ。

このころは、世間のインド映画熱もすっかりさめていて、映画館はがらがらだった。当時の「踊るマハラジャ」ブームがなければ、この映画は単館上映の映画の中でもっと評価されていたのではないかと思う。

「インド映画=踊って歌っておばか映画」というイメージがあまりにも世間に浸透しすぎていて、芸術映画、社会派映画好きの人たちがインド映画というだけで、観る前に敬遠してしまったのだ。又、インド映画のイメージ通りのものを求めて映画館に足を運んだ人には、イメージとあまりにもかけ離れた世界観についていけなかたんだと思う。

「インド映画=踊って歌っておばか映画」という図式は、今でもインド映画の秀作が日本に入って来づらい原因の一つとなっている。
いい加減、配給会社にもこのことに気づいて欲しい。

第一、UKチャートベスト10以内、USAチャートでもベスト20以内に入り、西洋のみならず、アフリカやマレーシアなどの国々にも広まっているヒンディー映画(ボリウッド映画)が面白くないわけがない。日本ははっきりいって、ヒンディー映画後進国だ。

シャー・ルク・カーンは言う。「日本ではラジニ・カントの方が有名だから、日本をマーケットとしては今のところ考えていない。」と。ファンとしては悲しいことだ。

ハリウッド映画並みとはいわないが、普通に日本の映画館でヒンディー映画を観ることができる日が1日も早く来ることを願ってやまない。

Satrangi Re


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KAL HO NAA HO(カルホナホ 明日が来なくても) [ヒンディ映画]


ダルマプロダクション制作(ヤーシュ・ジョハール、カラン・ジョハール共同プロデュース
監督:ニキル・アドヴァーニー
脚本:カラン・ジョハール
出演:シャー・ルク・カーン、プリティー・ジンタ、サイフ・アリ・カーン

ストーリー
ニューヨーク、インドからの移民の住む町。
ネイナ(プリティー・ジンター)は父の自殺以来、笑顔を忘れ心を閉ざしいた。祖母と母の争いが絶えず、家族はバラバラ、父との思い出だけを頼りに生きているような女の子だった。唯一心を許せるのは親友のローヒット(サイフ・アリ・カーン)だけだった。
絶望の中で、家族はキリストに祈る。「いつかエンジェルが私たち家族の前に現れますように」と。

ある日、ネイナの家のお隣にインドからアマン(シャー・ルク・カーン)がやってくる。アマンは周りの人をハッピーにしてしまう不思議なオーラを持っていた。ネイナは、最初はプライベートにずけずけ立ち入ってくるアマンを不快に思っていたが、アマンの力で幸せを感じるようになり、笑顔を取り戻し、いつの間にかアマンを愛するようになる。しかし、実はネイナの親友ローヒットが、密かにネイナのことを愛していたのだ。ローヒットの気持ちを知ったアマンは、クチホタの「愛は友情」を実行すべく、ローヒットを応援する。

ネイナ、アマン、ローヒットの微妙な三角関係、ネイナの家族の和解等、ストーリーはニューヨーク近郊を舞台に、悲しくも、優しさを持って進んでいく。

なぜアマンは周りの人をハッピーにしてしまう力があるのか、ローヒットの恋を応援するのか、アマンの想いをネイナとローヒットが
知ったとき、3人の想いが1つになってこの物語は終わる。

この物語の最後は、インド映画には珍しく、悲恋だと言う人もいるが(インド映画はハッピーエンドでないといけないらしい)、はたしてそうだろうか。最終的ネイナも、アマンも、ローヒットも、登場人物すべてが本当の愛をつかむのだ。エンジェルが現れるのである。
最後にネイナは言う。「アマンは私に愛を教えてくれた。自分自身を愛することを。そしてローヒットを愛することを。」
「世の中の妻は、夫が友達になってくれないというが、私は幸せなことに親友が夫になってくれた。」と。

カルホナホの直の訳は、「明日があろうと無かろうと」という意味らしい。私は邦題の「明日が来なくても」よりもこの直訳の方が好きで、この映画にはあっていると思う。

この映画の解説は、アルカカットさんが↓ですばらしい解説を
書いている。
http://indo.to/column/bolly/009.html
わたしはこの解説を読んだときから、この映画を必ず観よう、観ないといけないと思っていた。昨年の人形展中にこの映画のDVDを手に入れて案の定はまってしまい、現在に至っている。自分の人形のホームページの名前にしてしまったくらいだ。

いろいろな意見があると思うが、個人的にはカラン・ジョハール監督のクチホタ(『KUCH KUCH HOTA HAI』クチクチホタヘ 何かが起きている)よりも好きかもしれない。

カルホナホのオフィシャルページは↓から。
http://www.khnhthefilm.com/
素敵な映像と、写真を観ることができる。


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